【5月21日】共催企画展「明石博高-京都近代化の先駆者-」開催記念シンポジウム

明治維新後の京都は一時、人ロ・経済が低迷しました。それは、明治2(1869)年の東京奠都で天皇と政庁が東京に移ったためでした。 当時、京都府参事(後に知事)の任にあった槙村正直、顧問の山本覚馬、そして青年蘭方医の明石博高は、西欧諸国の技術・学問を取り入れ、文化や産業の振興をはかって、京都の衰退を止めようとしました。
彼らは、日本初の学区制小学校設立を皮切りに、集書院(図書館)や勧業場、舎密局、療病院などを建設し、驚異的なスピードで革新的施策を推し進めていったのです。本シンポジウムでは、とりわけ明石博高にスポットを当て、知られざる明石の人物像、そして明石が推し進めた近代化のあゆみに迫ります。
■挨拶 井上 章一(国際日本文化研究センター所長)
佐野 元泰(神田外語大学理事長)
■話題提供
「明石博高とヘールツ ―本草から舎密へ―」 松田 清(神田外語大学客員教授)
薬舗に生まれた明石は祖父から本草学、漢蘭の医学、舎密術を学び、本草漢学塾山本読書室の山本章夫に入門。さらにハラタマから理化学を学びました。明石が京都舎密局においてヘールツと協力して京都の近代化学教育を創始した背景と意義を考察します。
「市井の医師明石博高」 光平有希(国際日本文化研究センター特任助教)
明石は京都府に奉職し理化学革新を推し進めつつも、慶応2(1866)年に開業して以来、市井に根差した一人の医師としてその生涯を貫きました。私立病院設立文書や処方録など一次史料をもとに医師・明石博高の素顔に迫ります。
■パネル討論
司 会:松田利彦(国際日本文化研究センター副所長・教授)
パネラー:フレデリック・クレインス(国際日本文化研究センター副所長・教授)
:町田明広(神田外語大学准教授)
:松田 清(神田外語大学客員教授)
:光平有希(国際日本文化研究センター特任助教)
※詳細はこちらをご参照ください。
- 日時
- 2022年5月21日(土) 14時開会~16時
- 会場
- 京都府立京都学・歴彩館 大ホール
- 主催
- 神田外語大学/国際日本文化研究センター/京都府立京都学・歴彩館
- 申込締切
- ■令和4年5月6日(金)正午 必着
- 申込方法
- 要申込・入場無料
【申込み方法】
①催し物名「明石博高シンポジウム」、②氏名(フリガナ)、③郵便番号・住所、④電話番号(日中ご連絡がとれるもの)、⑤参加希望人数(複数名参加希望の場合は、全員の必要事項②~④の記入が必須です)を明記のうえ、メールまたはハガキにてお申込ください。
■結果は当落にかかわらず5月14日(土)頃、ハガキにてお知らせいたします。
■申込先
・メールの場合:forum@nichibun.ac.jp
・ハガキの場合:〒610-1192京都市西京区御陵大枝山町3-2 国際日本文化研究センター研究協力課事業係 「明石博高シンポジウム」担当宛
- チラシ